ファミコンのこととかいろいろ走り書き

ここ最近の一枚  
The drawing of my these days





















「まじで二人居る。」
「There are really two.」
2015,HASE



ファミコンをやめられないわたしとそれをすごくとがめるわたし



当時、ファミコンをお家でやりたいけれど手にすることはできなくて、
いとこのお家でおじちゃんがそういうのすごく好きで沢山持っていて、
お泊りに行ったら、ちょっとだけやらしてもらったりしたけど、特にマリオブラザーズ(スーパーでないやつ)を。ほんまはもっともっと遊びたいけど、ちっこいなりやっぱなんか気使って言えなくて、このゲームしたい気持ちを残しながら2階のいとこの部屋で布団に入り、夜な夜なゲームし続けるおじちゃんのマリオブラザーズの音楽が下から耳に入って、あ〜〜ってなってた。
で、ファミコンクラシックミニ予約購入。
音聞いて、なんか感動してもうて、、当時のこういう気持ちになっている感じが鮮明に出てきてしましました。
いや、ほんま何か思った以上に感動する自分がおったもんやから、改めてほんまめっちゃ欲しかったんやな〜と30年越しくらいで思っています。
どうやらこんなにも焦がれていたんなら、当時お母さんに買うてくれとめっちゃねだったのか聞いてみたら、言うても買ってはもらえないことを自覚しているようで、そんなゆわへんかったそうだ。ふ〜〜ん、いや〜〜〜、わたしほんまめっちゃ欲しかったんやな。
くだらないことかもしれんが、感動がここにあります。
このやめられないわたしAをとがめるわたしBはAに勝てません。今のところ。
せやけど、めっちゃとがめてくんねん、立派なように見える他の人々との比較をしてくんねん、いや〜もともとそういうとこあんねんけど、ちゃんとこうゲームしてる時にこんなんが強めにでてくんのがまたなんとも。上手いことできてるゆうんかなんか、かわいいとさえ思うわ。
そやけど、ちょっとやりすぎか、、





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横尾忠則さん著の「死なないつもり」、まだ5分の1くらいまでしか読んでへんけど、ええ本や〜
もうタイトルがまずええわ。すきやわ。
都合のええ解釈させてもらいますけど、ファミコン購入して1週間やめられない自分をちょいと肯定してやってええわて思った。(ま〜もろもろ自分次第ですが)
5分の1読んで、浮かんできたHASEの絵やらが数点あって、あげとこう。





















「no title」




















「何ということもない」
「 nothing 」
2008,HASE



















「完欠でなくてもいいんじゃ、」
「 You don't have to be perfect,,, 」
2008,HASE





























「この辺を使う。2(気付いた時)」
「 Around here is use.2 ( When I was noticing important things.) 」
2010,HASE























「こんなスキマから花」
「 There is the flower in such a chink in the wall. 」
2010,HASE























「いざとなってみないと分からない。 」
「I never know until it comes to the point.」
2015,HASE